「大津絵の筆のはじめは何仏」。元禄4年(1691年)の正月を大津で迎えた松尾芭蕉は、絵師が新年に何から書き始めるのか思いをはせ、この句を詠んだ。今、県都には、その絵に由来する面をつけて舞う「大津絵踊り」が市無形民俗文化財として伝わる〉
踊りを見てくれた全国の人が「こんないいもんあるんや」「大事にしいや」と声をかけてくれる。大津で生まれ育ち、守ってきた一人として、気張って続けなきゃって思います。
大津絵は江戸時代に始まり、仏画や世俗画を描いて大津を訪れた旅人らの土産物として人気を集めました。僧衣をまとった「鬼の念仏」などが有名です。やがてそこに節を付けたものが生まれ、明治頃に芸達者な芸妓げいこが三味線で舞う踊りを付けたのが大津絵踊りと聞いています。大津にあったそれぞれの花街で踊られていましたが、1970年の大阪万博で披露することになって、お師匠さんが手ぶりをそろえ、一つの形になりました。
踊りは面をつけるので、視野がものすごい狭い。左右の距離感も分かりにくいし、勘で動くような。そんな中で、その面に心を入れ、藤を持った「藤娘」や「鬼」になりきることが大切です。本当に奥が深い。